阿川弘之さん死去・文化勲章受章者

『文化勲章受章者・作家の阿川弘之さんが死去』PN2015080501001723.-.-.CI0003

 

 

 

太平洋戦争を舞台にした作品を多く残し、人々の苦悩や悲哀を重厚かつ端正な筆致で書いた作家で、文化勲章受章者の阿川弘之さんが今月3日、東京都内の病院で老衰のため亡くなりました。

 

 

 

94歳でした。葬儀は近親者のみで営まれるそうです。

 

 

 

阿川さんは1920年に広島市に生まれ、旧制広島高校在学中に小説を発表し始めたといいます。1942年に東京帝大国文科を繰り上げ卒業し、予備学生として海軍に入隊。中国戦線に送られた阿川さんは、大学で中国語の単位を取得していたこともあり、対中国の諜報作業担当班に配属されます。

 

 

 

敗戦を迎え、捕虜生活ののち復員した阿川さんは、故郷の惨状を目の当たりにして衝撃を受けることになります。

 

 

 

戦後は志賀直哉に師事し、海軍予備学生のときの体験を生かした私小説を発表します。

 

 

 

戦中、戦後を生きた若者の一途な青春像を描いた長編『春の城』で読売文学賞を受賞。広島
原爆の後遺症に苦しむ人々の生活を切り取った『魔の遺産』、学徒出陣した特攻隊員の苦悩
を浮き彫りにした『雲の墓標』など、数多くのすぐれた文学作品を世に送り出しました。

 

 

 

文壇において吉行淳之介や遠藤周作らとともに、第一次戦後派、第二次戦後派に次ぐ「第三
の新人」と呼ばれるようになります。

 

 

 

1966年に新潮社文学賞を受けた『山本五十六』あたりからは伝記文学の執筆にも力を注
ぐようになり、続く『米内光政』『井上成美』と海軍提督3部作を完成させ、日本文学大賞を受賞。

 

 

 

1994年には師を描いた評伝『志賀直哉』で野間文芸賞を受賞しました。

 

 

 

また、児童文学の執筆もおこなっており、古びた機関車が主人公の童話『きかんしゃやえも
ん』はロングセラーとなっています。1999年には文化勲章を受けました。

 

 

 

亡くなった阿川さんについて、交友のあった作家で評論家の半藤一利さんは、「阿川さんは
一直線で、さわやかで、こんなすっきりとした日本人はいなかったと思います」と話し、同じく作家の阿刀田高さんも、「信念を貫いた気骨のある作家だと思います…。

 

 

 

20年ほど前にマージャンや酒の席で時々ご一緒しましたが、わざと怖い顔を作ったあとで二コリと笑ってジョークを飛ばすなど、その人柄を敬愛していました」と、当時の思い出を振り返っていました。

 

 

 

阿川さんは父親としてかなり厳しいしつけをする人としても知られ、長女で作家・エッセイストの阿川佐和子さんは、そのことを自身のエッセイの中で描いています。「厳しかった子供時代。

 

 

 

叱られたくない、という思いが、作家・エッセイストとしての活躍につながった」と語っています。

 

 

 

日程はまだ決まっていませんが、後日、偲ぶ会が開かれる予定だとのことです。心より、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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