元社会党書記長の山口鶴男さんが死去

『元社会党書記長の山口鶴男さんが死去』yamagutituruo

 

 

 

旧社会党の書記長で、村山内閣時代には総務庁長官などを務めた元衆議院議員の山口鶴男さんが、3日の午後8時45分、肺炎のため群馬県内の病院で亡くなりました。89歳でした。

 

 

 

山口鶴男さんは群馬県草津町出身で、旧制桐生工業専門学校を卒業後、中学、高校で教壇に立ちながら群馬県教職員組合の役員としても活動していました。

 

 
県議会議員を経たのち、1960年の衆議院選挙に旧群馬3区から出馬し初当選。政界を引
退するまで衆議院議員を11期務めています。永田町では「ヤマツル」の名で知られていま
した。

 

 

 

社会党内ではいわゆる右派に属し、国会対策委員長などを歴任したのち、86年には土井た
か子委員長のもとで書記長に就任しました。

 

 

 

江田三郎元書記長に近く、社会党右派の実力者として右派の最大派閥である「政権構想研究
会」の代表も務めました。長年にわたり党の国対委員長や衆院議員運営委員会理事といった
要職を務め、「歩く国会先例集」とまで呼ばれた人物でした。

 

 

 

土井内閣のもとで党勢回復に全力をあげた山口さん。消費税が争点となった89年の参議院
選挙では「マドンナ旋風」により社会党は勝利し、与党を参議院過半数割れに追い込みました。

 

 

 

94年の羽田内閣総辞職ののち、自民党、社会党、新党さきがけによる3党連立政権が誕生。

 

 

 

山口鶴男さんは村山内閣のもとで総務庁長官として始めて入閣し、党内では首相を支えるグループの中心的存在となり、一貫して現実路線を歩みました。自民党との太いパイプを生かした山口鶴男さんの精力的な行動が、村山内閣にとって大きな縁の下の力になっていたと言われています。

 

 

 

初めて小選挙区比例代表並立制のもとで行われた96年の衆議員選挙には出馬せず、政界を引退。

 

 

 

同年、勲一等旭日大綬章を受章しました。しかし、社会党の土井党首からの強い要請を受け、2000年の衆議院選挙に「最後のご奉公」として群馬5区から立候補します。

 

 

 

善戦は惜しくも実らず、自民党の新人として出馬した小渕優子さんに敗れ、返り咲きはなりま
せんでした。

 

 

 

葬儀・告別式は、7日午後1時から草津町の西あがつまいずみセレモニーで執り行われるそ
うです。

 

 

 

心より、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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